2016モロカイ旅行記☆2日目~カラウパパを訪れる・ミュールライドツアー参加~
2017年 04月 09日
モロカイ島2日目の朝を迎えました。
今日はこの旅のクライマックス、カラウパパへ旅を進めていく日です。
ダミアン神父の足跡を辿る旅、まさにそこが彼の生きた場所であり、今なお、彼が眠っている場所でもあります。
1日を1つのブログで書くため、かなりの長文となります^^; ご容赦くださいませ。
興味がある方だけ、続けて読んで頂けたらと思います。
さ。
昨夜は早くに就寝できたので、朝はスッキリと目覚めました。
夜明け前から時間を持て余し、ホテル内をぐるぐる散策開始ですw
だ~れも歩いていないし、ホテルのスタッフさえも見かけませんけどwww
ホテルモロカイは島の南側に面していますので、当然のことながら目の前にはラナイ島をハッキリと捉えることが出来ます。
海がとっても穏やかで…静かで…時折聞こえる鳥のさえずりが印象的でした。
これレンタサイクルでしょうか。カウナカカイまで近いですし、近くの観光スポットをゆるく散策するには良いアイデアですよね。
昨日の喧騒が嘘のように、静まりかえったレストラン。
私たちを見て慌ててか、音楽が流れ始めました~www
しかし朝早くから行動する人、この島ではいないようで、お客が一向に現れません。
それに反比例して我々はそわそわそわそわ・・・。
何故ならば集合時間、朝の8時に現地なんです。
時計の針は7時半を指しており…かなが『もしかして間に合わない?』と聞いてきます。
そうなんだよね。
そう考えて、当初はカウナカカイの街中で朝食を済まそうと考えていました。
モロカイ・ドライブインが6時開店なので丁度良いと思っていたものの、、、閉店してしまったのです。
さてどうする?
現地までは距離がそう遠くなく、信号もほとんどない島ですから間に合うとは思います。
でもゆっくり食べてる時間がもうありません。
かなの行動は素早く、厨房へ乗り込んで変えて貰いました。
いつも英語&会話担当をお任せしてばかりで、申し訳ないけど助かります。
クルマを走らせながら、珈琲を口にしつつほおばります。
活気が流れ、温かさが残った感じ…うまく表現できませんが『いい感じ』なのですよね^^
また訪れよう。
ハワイ島はごつごつとした黒いイメージですが、ここは埃っぽい赤のイメージ。
行き交うクルマもまばらで、でも晴天の空はこの島をキラキラと照らしだし、寂しさを感じることはありません。
あ。虹も見る事ができました~^^♪
道は緩やかなカーブがあるものの1本道。
結局は時間前に着くことが出来ました。
でもそこがいい。
これから向かう場所は、この島の代名詞とも言える場所。
カラウパパなのですから。 少ししんみりとしたい気分なのです。
なんて暗い顔なんかしていられません!
可愛いらしいお出迎えが♡♡♡
この子、人懐っこくて可愛いんです♪♪
お馬の練習開始です。
かながお絵書きに付き合っています。
さて準備が整いました。
カラウパパ観光へのミュールライドツアー開始です。
ちなみにミュールとは、ロバと馬の交配種であるようです。
見た目はほとんど馬ですけど^^;
ミュールに乗り険しい崖を下って行きます。慣れると結構楽しいですよ~。
もちろん私は英語ダメなのでFromジャパンくらいのあいさつですw
この様子から、その人のあったミュールを紹介してくれるスタイルです。
参加者が多く、全部で14~5頭の隊列となりスタートします。
結構人気のツアーなのですが、ホテルモロカイから出たのは我々だけだった気が…。
皆さんどこに宿泊してきたのでしょうかね?
あと本土からの人ばかりではなく、欧州からの参加者もありました。
ダミアン神父はベルギー出身ですからね。
どっしりしていて、貫禄がありますわwww
ちなみにこのふたり、帰りは自力で帰るとのことで、ミュールは乗って行きませんでした。
してかなは・・・。
高さが心地よく、ミュールは大人しい性格な子が多いためか、全然難しくありません。
基本、前について行くだけなので、私の指示は止めたい時に手綱を引くくらいです。
手綱を微妙にコントロールして何頭か抜き、かなの後ろを陣取ります。
さて崖へとエントリーを開始していきます。
崖がキツイので、つづらおりで何度も折り返しておりてゆきます。
静かな佇まいを見せています。あそこへ今から行く訳です。
何せ世界一の崖と言われている所ですからね。
それはその筈。。。
行く先はその昔、ハンセン病患者の隔離施設があった場所です。
簡単に脱走させないために、この場所を選んだのですからね。
背中に断崖絶壁、目の前は海…どこへも逃げ場がなく、ハンセン病患者のコロニーというのは名ばかりで何も無い場所でした。
『絶望』という名に近い場所、当初はそうだったのだと思います。
まさに病み捨ての地。
そう。彼が現れるまではね。
さて・・・。
この隊列で一番大きな体格で、なにせ遅いんです。
この後しびれを切らし、私は追い抜き指示を出して抜いちゃいますw(この場所ではなく安全な所で)
変化に富んだルートで、これだけでも十分に価値のあるツアーです。
雨があるので、装備はしておいた方が良いと思います。
私はリュックを背負っているのですが、ちゃんとカバーが付いているタイプのものです。(今回初めて使ったけどw)
ツアーガイドは軽快にいろいろ話してくれますが、私は何も分かりません(なははwww
小さな資料館になっていました。
どこでもよく見かけるダミアン神父、そしてマザーマリアンヌの写真が在ります。
写真からも伺い知れるように、ダミアン神父は神父というよりはリーダー的な存在だったのだと思います。
眼光鋭く、強い意志を感じます。
かなり直情的な方だったらしく、でもだからこそ、このカラウパパを救う存在となります。
しかし・・・
この場所がどんな意味があったのか…今回の旅、よく調べもせずに来てしまったことが悔やまれます。
意味のある場所だからこそ、立ち寄ったのだと思うから。。。
少し寄付も兼ね、かつここへ来られた想い出としてピンバッチを購入しました。
今でもパソコンの横に飾っていて、いつでも想い出せるように、かつてここに居た人たちに、少しでも気持ちを寄せられたらという思いで
飾っています。
辛いことがあったとき、このピンバッチをながめては「こんなの苦労では無いさ」と、私の心を救ってくれます^^
それだけ、かつてここに居た方々の苦労というものは、想像できないくらいのものでした。
立派な街並みに見えますよね?
ここまで来るのには、相当な苦労があったのです。
当時のカラウパパはハンセン病患者のコロニーといて、発病した方を治療(実際は隔離)する場所でした。
船に揺られ、実際に辿り着くと、そこには粗末なほったて小屋があるだけ…。
もちろん、満足な食料は無く、医療品なども無い状態です。
常駐する神父も、もちろん医者なんて居なく、たまに派遣される神父も長く続かず、救いも無い場所でした。
暴行、レイプ、略奪など、ありとあらゆる行為が、なんの秩序もなく行われていました。
病状が悪化していくと…見た目の変化、それに体の部位が脱落することもあり、発病した患者をこのカラウパパへ
送り込む船頭さえも怖がってしまい、岸に着けることも無かったようです。
想像してみて下さい。
そんな噂がある場所へ、あなたの愛する妻や夫を送り込めるでしょうか?
必死で匿おうとすることもあったと思います。
一方、送り込む方もこれ以上感染を広めたくないと、必死で引き裂きにかかります。
お互いがそれぞれが思う正しいことをしているのに、決して相手には受け入れられず憎みあうことになる。
残った家族でさえやるせなさが残り、精神的な苦痛が続き、きっと気が狂いそうになったと思います。
彼は元々ハワイへ来る予定ではなく、神父の兄が来る予定でした。
しかし兄がチフスにかかったことで、”代打”として急きょ布教活動のため訪れた地でした。 運命の悪戯というものでしょうか。
彼はハワイ島のコハラ地区で布教活動をしていたそうです。
日本からの最初の移民、”ガンネンモノ”が到着する5年前の出来事です。
話が長くなりそうなのと、あまり詳しく調べていないのでこのあたりにします。
彼女は移民ですがアメリカ本土出身ということもあり、本土ではダミアン神父よりも有名な方であるようです。
彼女はダミアン神父がハンセン病を発病し、亡くなった後を引き継いでいった方です。
ここで思うことがあります。
1838-1918とあるとおり、彼女は80年近くの生涯をまっとうした点です。
ハンセン病は人から人への感染病ではなく、だからこそ彼女は看護師としてここに赴任しながらも感染・発病することが
無かったという事です。
現代では十分に完治する病で遺伝するものでもなく、伝染力は結核よりも低いものの、何せ発病した後の見た目の変化で社会的な差別を受けてきました。
多くの誤解、偏見により人権侵害を行ってきた事実を、しっかりと認識しなくてはなりません。
昔は多くの悲鳴や怒号がとんでいた場所だったのでしょうが、今はその傷を癒し、ただただその記憶を忘れ去られぬよう
静かな佇まいで存在し続ける場所へと変わっていったように感じます。
でも確実にここで悲劇があり、亡くなっていった方の魂がどこかに感じられる場所でもありました。
どうか安らかに。
また今でもハンセン病患者が、この地に住まわれているそうです。 そっと心を寄せて訪れて頂ければと思います。
晴れていれば、なかなかの絶景ポイントだと思います。
このミュールライドツアーはランチ付きです。(とはいえ、軽食ですけれどね)
ねぇ。うふふwww(無理ッス~TT しかもお隣さん英語じゃないし~英語でも無理だけど~w)
後は菓子類をもらったのですが、こういうのって結局食べるタイミングが無いもので、帰りのホオレフア空港で捨ててしまいました。
彼の遺体は当初、このカラウパパに埋葬されていたのですが、彼の功績が認められるようになった時代、故郷のベルギーへ運ばれてしまいました。
でもね。
彼はそれを望んでいたのでしょうか?
ハンセン病患者と共に在り続け、ついに自らがハンセン秒を患った際に「これでやっとみんなの気持ちがわかる」と喜んで受け入れた彼が。
ただ、もともと眠っていた場所に右手だけが戻されたような記事を読んだ覚えがあります。
その場所へ、これから訪れます。
この教会には…残念ながら今回は入ることができませんでした。
当時、満足な施設も無い時代、ハンセン病の患者が救いを求めこの教会へ押し寄せたそうです。
床には彼らの痕跡。おう吐物などで絨毯が覆われたそうです。
無念であったろう…。
そんな記憶が残るこの教会の横に、せめてもの慰めとなるであろうか。
よく調べていないが、きっと彼らのお墓なのだと思います。
今も死者の、当時の苦痛を癒すかのように、綺麗に鮮やかに。
そして。
確かタコの木の下に当初は眠っていた、なんて文が何処かにありました。
そこにお墓をつくったのでしょうか。
旅の当初計画では、オアフからホッピングする予定だったので、ダウンタウンでレイを買って私も供えるつもりでした。
レイは供えられなかったけど、日本式に手を合わせ祈りを捧げました。
彼の最期のとき、彼はきっと未だ志半ばである無念というより、沢山の方に見送られ笑顔で去ったのだろうと、勝手ながら感じました。
マザーマリアンヌのように次を継ぐ者たちも現れたのですから、未来へ安堵しながら旅立ったのであろうかと思います。
ふぅ…と、先ほど小さなブックストアで見た景色が思い出されます。
きっと彼は神父というより、このカラウパパで終焉を迎える旅のリーダーだったのだと思います。
心に寄り添うというより、引っ張っていく方だったと思います。
彼はカラウパパで唯一の健常者でしたから、他島との行き来が認められていました。
ダミアン神父はカラウパパの現状を見て、何度もホノルルの役所へ足を運び支援を訴えました。
彼は直情的な性格の持ち主でしたから、分からず屋な役人と何度もぶつかったそうです。
その言葉どおり、本当にぶつかっていったのだと思います。
その度に司教へ懺悔しつつ…でもやり方は変えず、真っ直ぐに進んでいき、支援を勝ち取っていったのだと。
彼の活動のおかげでカラウパパの噂は広まり、沢山の支援が届くようになって行きました。
ダミアン神父はハンセン病患者のため、自ら家を沢山建て、道路を整備し、花壇なんかも作ったそうです。
住むだけではなく人としての暮らし、生きて行くための希望を持てるように…。
中でも音楽隊を結成した話は有名です。
そしてもうひとつ、私はこの旅に来る前、日本基督教団新宿西教会を訪問しました。
毎年やっている人間ドックへ向かう途中にこの教会があり、偶然にもダミアン神父のひとり芝居が、旅行の2週間前に開催予定だったのです。
大変興味深いものでした。
その中で演じていたのですが、ハンセン病患者が亡くなった際、どうやって送ったと思いますか?
笑顔で、踊って、お祭りのように送ったのです。
その意味は、ようやく精神的・肉体的な苦しみから解放された瞬間なのですから、おめでとう!と送ったのだと思います。
そんななか…彼は、彼自身がハンセン病を発病します。
でもそんな悲劇を、彼は喜んだそうです。 これでやっと皆の気持ちが分かることが出来る、とね。
彼は1889年、49歳で生涯を閉じました。
でも。
彼が聖人として列せられたのは、つい最近、2009年のことです。
死後120年もの月日が流れていました。
理由はいろいろ考えられます。
彼のしてきた行動、直情的な性格ですからよく思わない人も多かったでしょう。
それと彼はカラウパパを救ったヒーロー的な存在ですから、妬みも多くあったと思います。
沢山の誹謗中傷が飛び交い、悪い話はなぜが大きくなるものですから、真実まで辿り着くのに時間を要したのです。
真実は実際に現地を知らなくては語れないものですからね。
例えばハワイ王国と親交のあった作家スティーブンソンは、ダミアン神父が亡くなった直後にカラウパパを訪れたそうです。
そこで感銘を受け、世間で広まる誹謗中傷に対する反論文を書いたのです。
社会差別と闘い続けた神父を、皆に正しく知って貰うために。
ダミアン神父の墓の前で手を合わせた部分に戻ります。
ちょっと気持ちが高まり、私は涙が溢れてきました。
そんな気持ちをふぅっと沈めてくれた場所へ、この後向かいます。
シロアマ教会(Siloama Protestant Church)です。
先ほどのセント.フィロミーナ教会からすぐ近くですが、あちらはカトリック。
こちらはプロテスタントです。
ダミアン神父は「神父」ですからカトリックで、お墓はセント.フィロミーナ教会に在る訳です。
またお話があったのですが…英語が分からずw
一応、お話があるたびiPhoneで録音したので後でかなに訳して貰おうと思ってたのですが、、、それも数か月経ちw
でもでも。
そのチャントが教会内に響き渡り、何とも言えない癒しの時間でした。
私もいつか、キチンと覚えて唱えてみたいです。
これでツアーは終了です。
バスでミュールの場所まで戻り、今度は崖を登ります。
中には「歩いて戻るから」という方や、船で戻る方も居ました。
でも粘り強く、崖を駆け上がって行きました。
乗り手であるこちらも多少腰を浮かして、一緒に上がる感じが良いです。
かなはご機嫌ですなぁ^^
もし次回訪れるタイミングがあれば、ちゃんと史実を学んでから訪れたいと思います。
景色を見ても、きっと見方が変わるでしょうし、何よりも知ってた方が興味の範囲が広がりより良いと考えています^^
思ったより早く、いや時間どおりにツアーは終了しました。
この後、ホオレフア空港からホノルルへ移動するのですが、17:35発の便です。
2時間以上あるのですが、何せ空港へ行ったところで何も無い。
しかも狭い島ですから、数十分で到着するのはすぐ想像できます。
ちょっとティータイムでもしようかと思いましたが、クルマも人もだ~れも居ませんw
それにしてもちょっと平地に移動しただけで、とたんに暑い。
だってここ、ハワイだもんねw
あ、どこからか店員が来ました。
早速、名物の「モカママはあるか?」と聞いたところ、ここには無いとのこと。
えっ? じゃあどこにあんの??
ここ、コーヒーオブハワイだよね?
聞いたところ空港にも店舗があり、そこに在るそうです。
店員ひとりに我々2人しか居ないんだもん。 音楽もなく静か~だしw
といっても、コーヒーオブハワイからすぐです。
キャッキャしてくるので、またかながお相手します。
んー味の記憶が無い。。。ということは普通だったのだろうね。
とりあえず珈琲ではなく、コーラを飲んだ記憶だけあります。 喉が渇いてたのと、シュワっとしたものを飲みたくなったのでね~。
相変わらずがら~んとして、何もありません。
とりあえずコーヒーオブハワイを探すけど、何処にもないw
もしかして? と思い、外に出てみると
よーし、折角なのでモカママを頼もう。
そしてそして。
スタバへ行っても、絶対に頼まないであろう系統の
んん~しかしチャレンジするしか無い!
試飲の珈琲を楽しむんじゃない! こっちこっち!!
モカママを手に持って歩いていると、それ甘いよ~と日本語で話しかけてくる方が。
相手はモロカイ島でツアーガイドをしているという夫婦でした。
https://www.molokai.club/
とにかく、このお二人の笑顔というか、ハッピーな雰囲気が印象的でした。
以前はオアフ島でガイドをしていたそうで、拠点をモロカイに移したのだとか。
確かにモロカイならばプライベート感があり、思いきり海遊び出来そうです。
航空会社はマカニカイ・エアー(MakaniKai Air)をチョイス。
あのですね、何事も経験と思いチョイスしましたけど、普通にモクレレとかで良いと思います。
この飛行機はホノルル空港では無く、端のラグーンドライブに会社があり、そこに到着するのです。
私たちの席は…
ちなみに日本の方でした。
乗り込む際に「あの荷物、大丈夫か?」と日本語が聴こえていて、その方が機長でした。
実はかなり大きいッスw
何も無い、と言えばそれまでだけど、でもだからこそのモロカイ島なんです。
ここが商業化すれば便利だけれど、それならオアフ島に居た方が良いですからね。
何も無いことが魅力なんです。
When you come to Molokai, don't try to change Molokai. Molokai will change you
観光客相手に、ああした方が、こんな施設があれば、何てしない。
何も無いモロカイへ来て、自分を変えて貰いましょう。
たった1泊ですから、私はその域に達することは無かったですけれど、このゆるやかな雰囲気に癒されたのは間違いありません。
素敵な島でした。
またいつか、戻ってきます。 ばいばい♪
凄い…最後の文が惹かれました。
そうなんですよね、土…土地の匂い。モロカイに惹かれる人はきっと風・土・匂い、ここにしか無い何かを感じるんだと思います。
スロウな時間が流れていて、いっぱいの空気を吸いながら「んっ…!」と伸びをして脱力する、そんな雰囲気でした^^♪
ただでさえ、白人至上主義だった当時のハワイで、隔離された日系人はどう扱われたのか。
そのこともあり、4島以外ではモロカイに行ってみたいと思っています。
カラウパパに日系人の痕跡…考えたことも無かったです。
確かに時代を考えると、移民の歴史と重なる部分がありますね。
マツゲンさんがモロカイを訪れたならば、また違った歴史が見えてきそうに思います^^
それにしても、あの馬にのって崖を行くのは、ビビリなので絶対無理だなぁ、、(T_T)
崖は写真で納めるよりも、恐怖心は無いですよ^^
なによりミュールが安心感を与えてくれるので、身を預けていればokです。
ハワイって様々な切り口があり、それには必ず歴史があるもので、調べて旅をすると素晴らしいものになります。
あいつんさんも、是非に^^
字ばっかりだと毛嫌いしちゃうんですが、
にぃ~のは、なぜか…す~っと入ってきて
しかも!
感情とか風景とかモロモロ伝わってきます!!
あれ??・・これが・・恋なのか(爆)
ワロタw
その恋が冷めないように、これからも魂を込めて書き続けるね♪
でも、ストーカーは恐いので、やめて下さいねw ぷぷw
まじめに一度、遭ったことがあってね…マジに怖かったのよ~www
これ読んで、モロカイ島へ訪れる方が増えるといいかな~^^